方天画戟とは小説「三国志演義」に登場する猛将である「呂布奉先」が使用していた「方天戟」という武器に呂布奉先が自ら改
良を施して作り出した長柄の万能近接武器のことを指します。
もしくは中国がまだ「宋」という名前であった頃、
つまり11世紀に登場した「方天戟」という武器を改良して作り出した武器だともされています。
特に特殊な能力や伝説があったわけではなく、
たしかに武器としては高性能ですがその武勇はあくまで優秀な使い手がいたが故のものでしょう。
双戟
中国の歴史をたどる限りたたら製鉄によって作り出された刃物用の鋼である可能性があります。その他には鋳造用の銑鉄で作られたとも考えられます。
方天画戟、もしくは方天戟は西洋で言うところの「ハルバード」や「バルディッシュ」、つまり斧槍に区分される武器です。
長柄の武器であり、柄に対して垂直に備え付けられた刺突に適した槍様の刃と、
柄に対して刃が平行になるように取り付けられた切断に適した斧様の刃が特徴的な武器です。
長柄であるため、振り回した際に大きな遠心力が生まれ、
それを生かした高い切断能力と剣よりも長いリーチを生かした刺突攻撃が行える武器であり、
近接戦闘において剣よりも有利に戦うことのできる武器でもありました。
方天画戟はこのハルバードやバルディッシュをより万能化した武器といえ、
斧様の切断用刃を三日月のような形状にすることによって、切断能力の向上に加えて刃の接触面を拡大しており、
刃の部分で敵を「薙ぐ」ような使い方ができるようになっています。
更に切断用の刃の反対側に鋭い鉤爪のような部位を備えており、
この部分を敵に引っ掛けることで引き倒すことや馬から引きずり下ろすような用途にも使えるようになっています。
しかし近接戦闘においておおよそ必要なことができるようになっている反面、
多用途化によってその使用方法の煩雑化が起こっており、万人に十分に扱えるような武器ではなくなってしまってもいます。
また、実際の呂布奉先は先に述べた通り方天画戟や方天戟が登場する以前の人物であったため、
呂布奉先は実際には方天画戟を使ってはいなかった可能性が高いです。
方天画戟や方天戟が歴史上に登場するのは11世紀の北宋の時代に入ってからで、
これより過去にあった「戟(げき)」という武器を改良した武器だとされています。
この時代においても方天画戟や方天戟は近接戦における万能武器として活躍していたようです。
このように小説上でも現実でも近接戦において万能な武器として描写される方天画戟ですが、
現実では伝説的な活躍をした、という記載に乏しい武器でもあります。
11世紀の中国では一般的な武器であり、特定の英雄が特別に装備していた武器ではないのでそれも当然ではあります。
では、小説の三国志演義ではどうでしょうか。
三国志演義では作中最強の武将である呂布奉先の専用武器として登場しています。
様々な戦場に登場した呂布奉先ですが、その中でも特に有名なのが虎牢関の戦いでしょう。
虎牢関の戦いは当時宮廷に入り権勢を欲しいままにしていた武将「董卓(とうたく)」とそれに反感を持つ者たちが集った連合
軍との戦いで、呂布奉先は董卓軍に所属していました。
この戦いにおいても呂布奉先は圧倒的な武力を発揮して連合軍の兵や武将を敗走させていきます。
この呂布奉先の武勇に奮い立って戦いを仕掛けたのが連合軍に参加していた「劉備(りゅうび)」の義弟である「張飛(ちょう
ひ)」でした。このときの張飛はまだ無名の兵卒です。
当初こそ二人は互角に戦っていましたが、呂布奉先にはまだ余裕があります。
これを見たもうひとりの劉備の義弟である「関羽(かんう)」が参戦します。
この二人は三国志において後に最強の武将と言われるほどの人物ですが、
その二人を持ってしても呂布奉先を討ち取るに至りませんでした。
そこで二人の義兄である劉備が参戦してようやく呂布奉先は撤退していくのです。
この際も呂布奉先は自ら撤退しただけであり、討ち取られたわけではありませんでした
このように方天画戟を持った呂布奉先はまさに一騎当千、最強の武将だったわけです。
無属性
この方天画戟はゲームやアニメでも多数名前を見かけます。
そして殆どの場合三国志と同じく「呂布奉先」の持ち物として描かれています。
特に有名なのはコーエーテクモゲームス発のアクションゲーム「三國無双」シリーズでの登場でしょう。
呂布奉先はゲーム中でも最強クラスのキャラクターとして設定されている場合が多く、
プレイヤーの驚異として立ちはだかることも多々あります。
登場ゲーム作品
三國無双